先日のこと。
西新からシーサイドももちへと通じる『サザエさん通り』を、50~60人ほどの若い男女の集団が福岡タワーに向かって歩いて行く。
観ると誰一人マスクを付けていない。
ぎょっとした。
何の目的なのか、何を意図してのことかはわからない。
近くの大学の学生だろうか … ?
何か、気味が悪かった。
まるで、ゾンビだな。
そして、家近くの公園を通ると、サラリーマン達がカラスのように群れて飲んでいる。
人は弱いから群れるのではない。
群れるから弱くなるのだ。
本の冒頭にこう記されている。
そう思うときもあるが …
しかし私は、群れてる連中に先ず聞いてみたい。
” 何故群れるのか?”
答えは様々だろう。
憲法に記されている「自由権」を持ち出すような高尚な話ではない。
「淋しいから」「愚かだから」「我慢できないから」「身勝手だから」… etc.
本当のところ、こんなもんだろう。
「○○だから」の言葉を換えてみる。
私は、 ○○だから群れるのだ。
そしてこれからも○○だ。
近頃、『菊と刀』(ベネディクト 著 角田安正 翻訳)の言葉をたびたび思い出す。
日本人を描写するために、「その反面…」という言い回しが数え切れないほど繰り返されてきた。世界中でこれほど頻繁にこのフレーズを適用された国民はいない。
真摯な専門家であれば、日本人以外の国民に関して論評する際に、以下のような矛盾した説明はしない。
「礼儀をわきまえている点で他の追随を許さない」と述べながら、「その反面、思い上がった、態度の大きい国民である」という一節を付け加える。また、「頑固さにかけては比類がない」と述べておいて、「その反面、最先端の思想や制度に進んで順応する」と付け足す。
「従順な国民である」と評しながら、「上からの統制に素直に応じない」との説明を併記する。「節操があって心が広い」と述べながら、「だがその反面、二心があって執念深い」と断定する。「まぎれもなく勇敢である」との記述と並べて、その小心翼々ぶりを取りざたする。
「人目を気にして行動する」という評のあとに、「正真正銘、恐るべき良心の持ち主である」という言葉を続ける。
軍隊におけるロボットもどきの規律を描写しつつ、これに引き続いて、同じ軍隊おいて反逆の一歩手前まで兵卒が反抗する有様を描写する。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「美しい国、日本」は、醜聞にまみれた総理のかつての言葉。
今、国・地方を問わず、政治家、公務員の規範意識の喪失は目を覆うばかりで、「率先垂範」は死語となった。そして人々は、モラルなどどこへやら、様々な理由をつけて独善的に行動する。
アメリカによる対日戦後政策は見事に成功し、あまたの愚民を産み出し続けている。
「薄汚い国、日本」、これが実相だ。
日々、社会生活を支えるために懸命に働いておられる方々の心中察するに余りある。
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