『 キングダム 大将軍の帰還 』と『 騎馬民族国家 』

 

 

今日、12日から、ファン待望の実写映画「 キングダム 」シリーズの4作目『 キングダム 大将軍の帰還 』が公開された。

 

T・ジョイ博多のドルビーシネマで鑑賞。

 

映画の内容について云々することはしないが、不覚にも涙落してしまった。

 

それはともかく、この物語の舞台は、中国春秋・戦国時代の末期、紀元前3世紀半ばの話だ。

 

紀元前3世紀と言えば、日本列島では、「弥生時代」だ。

 

金属器(青銅器・鉄器)は使用されてはいたものの、石器も使われており、「金石併用時代」とも呼ばれる。

 

生活にしても、高床住居も見られるが、竪穴住居の方が多い。

 

ちなみに、始皇帝陵兵馬俑坑は、始皇帝麾下の軍団を写し、指揮官・騎兵・歩兵などの異なる階級や役割を反映させた俑である。

 

武士俑(兵士俑、歩兵俑)、御手俑(御者俑)、立射俑、跪射俑、騎兵俑など、これまで約8,000体の俑が確認されている。

 

その埇の有様を見るにつけ、中国と日本列島の倭人、ヤマト人とは、月とすっぽん …

 

このシアターで鑑賞した人の中に、この時代における日中間の甚だしい文明格差を思った人は … 

 

 

 

 

そんなことを考えながら、日本国家と民族の起源は東北アジア騎馬民族の日本征服にあるという説にたつ江上波夫の著書『騎馬民族国家』を読み返した。

 

騎馬民族説とは、東北ユーラシア系の騎馬民族が、南朝鮮を支配し、やがて弁韓(任那)を基地として日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、大和地方の在来の王朝を支配し、それと合作して征服王朝として大和朝廷を立てたとする学説。

 

 

東洋史学者の江上波夫が、

(1) 古墳文化の変容

(2) 『古事記』『日本書紀』などに見られる 

  神話や伝承の内容

(3) 4世紀から5世紀にかけての東アジア史

  の大勢

 

この3つの解釈をベースに、

 (4) 騎馬民族と農耕民族の一般的性格を考慮に加えて唱えた日本国家の起源に関する仮説だ。

 

1948年に発表され、一般の人々やメディアなどでは支持を集めたが、学界からは多くの疑問が出され、批判的であった。

 

とりわけ考古学界からは厳しい批判と反論がよせられ、今日でも、この説を支持する専門家はごく少数にとどまっている。

 

しかし、松本清張の『 清張通史 』の (1)~(3) では、江上氏の説が少なからず取り上げられており、清張は、江上説に対して、肯定的・好意的であったように思える。

 

 

余談だが、今年の4月、理化学研究所(理研)、東京大学などの共同研究グループが大規模な日本人の全ゲノムシークエンス情報を分析し、日本人集団の遺伝的構造等についの研究成果を発表した。

 

日本人の起源をめぐっては、弥生時代に大陸から日本列島に渡ってきた人々と縄文人の混血が進んだとする「二重構造モデル」が定説であった。

 

しかし、近年、遺跡で見つかった人骨の古代DNAの分析などから、「三重構造モデル」、すなわち、縄文人の祖先集団、北東アジアに起源を持ち弥生時代に日本に渡ってきた集団、そして東アジアに起源を持ち古墳時代に日本に渡ってきた集団の三集団の混血により日本人が形成されたという説が提唱されるようになっていたが、今回の共同研究チームの解析結果は、この「3重構造モデル」を裏付けるものとなった。

 

日本列島、日本人の歴史を考える上で、古代中国及び朝鮮半島の歴史を抜きに、正鵠を射ることは絶対にできない。

 

ユーラシア東方に活躍した遊牧系騎馬民族の匈奴、突厥、鮮卑、烏桓。

 

そして東北アジアには、いわゆる天孫民族と特別に深い関係があった思われる夫余、高句麗、女真などの半農半猟民系騎馬民族。

 

中華王朝史観を離れ、遊牧の民の史観から古代史を考えるのも面白い。