ー 鷲尾 愛宕神社と麻生太吉 ー

 

 

想夫恋生の松原店からの帰り、福岡市西区の愛宕山(旧名 鷲尾山)にある鷲尾愛宕神社(わしおあたごじんじゃ)に詣でた。

 

 

社伝は、

ー 福岡市西区愛宕山頂に御鎮座します「愛宕神社」は、西暦72年(十二代景行天皇の時代)に創建され、福岡で最も古い歴史をもつ神社です ー となっている。

 

旧社格は郷社(諸社)で、単に「愛宕神社」とも呼ばれる。

 

社格制度は、明治維新以降、『延喜式』に倣って、新たに神社を等級化した制度で、第二次世界大戦後に廃止されたが、「旧社格」などの名称で神社の格を表す目安とされる。

 

 

ちなみに、

 ・ 宗像大社の社格は、官幣大社

 ・ 住吉神社は、官幣小社

 ・ 筥崎宮は、官幣大社

 ・ 香椎宮は、官幣大社・勅使社

 ・ 太宰府天満宮は、官幣中社

 ・ 宮地嶽神社は、県社

 ・ 高良大社は国幣大社     

 

 

『神道辞典』などによると、

   官幣大社 > 国幣大社 >官幣中社 > 国幣中社 > 官幣小社 > 国幣小社 > 別格官幣社 となる。

 

郷社は、県社の下、村社の上に位置づけられ、地方官の管理下にあって奉幣を受けた。 

諸社の社格の順は、府社 = 県社 = 藩社 > 郷社 > 村社の順である。

 

 

 

 

ところで、かつて、愛宕神社あたりの姪浜と言えば、ガラの悪いエリアと言われてきた。

 

姪浜は、往時、板子一枚下は地獄と言われる海に生きた漁師たちの町であり、唐津街道沿いの宿場町として賑わった町。商人町の博多からみれば、西の辺境の地であり、異文化の地であっただろう。

 

そんな姪浜に、1914年(大正3)年に設立された姪浜鉱業により、愛宕山の北側に「姪浜炭鉱」が開かれる。

 

1929(昭和4)年には、姪浜鉱業は西新・小戸などに炭鉱を持つ「福岡炭鉱」を買収、「早良鑛業」と社名を変更、鉱山名は「姪浜炭鉱」から「早良炭鉱 本坑」へ改称された。

 

戦前には約20~30万トンが出炭され、周辺には炭鉱住宅が建ち並び、最盛期の1935(昭和10)年頃には従業員とその家族8,000人以上が暮らしたという。

 

炭鉱は1962(昭和37)年に閉山、経営していた会社は、現在は地域の不動産開発事業や自動車教習所の運営などを行っている。

 

ショッパーズモールマリナタウンやマリノアシティなどの大型商業施設が近隣に相次いで開業し、高層マンションが並ぶ住宅街へと発展を遂げた姪浜が、かつて港町、炭鉱町だったことを知らない人も少なくない。

 

 

 

 

トップの写真は、この愛宕神社鳥居そばの石灯籠だ。

 

寄贈者は、麻生太吉。

言わずと知れた第92代内閣総理大臣 麻生太郎の曾祖父である。

 

麻生太吉は、1857年(安政4年) 、筑前国嘉麻郡栢ノ森村(現在の福岡県飯塚市柏の森)に村の庄屋の子として生まれる。

 

1872年(明治5年)、飯塚市の目尾御用山を共同で採掘し、初めて炭山開発事業に着手(麻生炭坑の興り)。

 

その後次々と炭鉱を開坑して事業を拡大し「九州の炭坑王」と呼ばれるようになる。

 

明治・大正・昭和初期と筑豊有数の炭鉱主として、石炭の他に銀行、電力、鉄道、病院、セメント事業など幅広く事業展開していく。

 

参道や境内には、麻生太吉をはじめ、そこかしこに、嘉麻郡の炭鉱主たちの名前が刻まれた鳥居、石柱や石柵がみられる。

 

石炭鉱業の隆興とともに発展した姪浜と愛宕神社。

そして、筑豊の炭鉱王 麻生太吉。

 

その麻生太吉を曾祖父に、そして、戦後の宰相として名を残す吉田茂(第45・48・49・50・51代)を祖父に持ち、今日、政界の一大派閥を率いて貴種のように崇められる麻生太郎氏。

 

しかし、麻生家は、百年ほど前は片田舎の庄屋

炭鉱事業で得た莫大な資金で名をなした ” 成り上がり ” とも見える。

 

神社には色んな一面がある … 改めて思いながら、石段を踏んだ。

 

 

 

 

「 おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違う / ふと想起される言葉 vol. 95 」はこちら>