不浄の左手 ー ふと想起される言葉 vol. 12 ー

 

 

 

ヒンドゥー教では、左手は不浄とされ、右手でご飯を食べ、左手で排泄の処理をするのが一般的という。

 

日本でも、戦前世代の中には、「不浄の左手」をいう人がおられた。

 

 

現在でも、合掌は、神聖な右手と不浄な左手を合わせて拝礼することを意味すると教える仏教の宗派もある。

 

 

タバコを吸いながら、ふと、右手、左手のことを考えた。

 

 

私は、喫煙者だ。職場でも、タバコを吸う。

建物内の階の異なるフロアに喫煙ルームがあって、エレベーターでそこまで行くことになる。

 

エレベーターのボタン、喫煙ルームのドアバーハンドルなど、不特定多数の人が触るものにふれなければ、タバコが吸えない。

 

喫煙ルームに入ると、胸のポケットからタバコを取り出し、右手で1本取り出す。

当然、口にするフィルターに触れることになる。

 

これは、いけない。

今触れたバーハンドルは、多くの喫煙者たちがさわるもの。

もし、コロナウイルス感染者だったら…?

 

で、右手と左手を目的別にしっかり使い分けることにした。

右手は、盃、タバコなど口に触れるものに。

左手はそれ以外で、ドアノブ、スイッチなど。

 

不浄の左手か…

 

そういえば、世界各国の小便小僧は、ほぼほぼオチンチンを左手で持ってオシッコをしているそうで、これについては、予防医学の観点から意味があるという方もいる。どうなんだろ…

 

 

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