新型コロナウイルス問題で、もっともよく耳にした言葉の一つに ” ストレス ” がある。
外出の自粛が求められて数日で、だれもかれも「ストレスが…」と言いはじめた。
TVでは、MCやコメンテーターまでもが、
ストレスを口にする。
公園の若い母親は、” ずっと家にいて、子どももストレスが溜まっちゃって…”などと言う。
走る人、散歩する人 …
健康のためだから …
パチンコ店に並ぶ客も、 ストレスが…と。
んな訳ないよ …
家は、衣食住に不自由のない自分の巣。
安全で、快適に過ごせるところだ。
彼らの言うストレスとは何なのだろう。
もし、自分の家での生活でストレスを感じると言うのならば、その原因は別の何かだろう。
状況は異なるが、かつて盗撮や痴漢で逮捕された被疑者も一様に、” 仕事でストレスが溜まっていて ” なんてことを言う。仕事のストレスで盗撮なんぞやってたら、世の中、迷惑防止条例違反の人間だらけになるだろう。
村上新八 氏の著書「カジュアル哲学で世界を斬れ」の中で、氏は次のように述べている。
ー 昨今はストレスばやりである。それほど生きることが厳しくなったとも思われない。
我々戦中派の思うには、戦争中のほうがはるかにストレスが多く、強かったと思う。
食うものにはことを欠き、勤労動員で、慣れない工員仕事や土方仕事をやらされ、B29の襲来やグラマン戦闘機の低空機銃掃射から逃げ惑い、生きた心地がしなかった日々であった。
このストレスと比べたら、現在は天国みたいなものではないかと思うのである。
それなのに、周囲を見回すと、ストレス患者ばかりである。
カナダのセリエ博士がストレス説を唱えて以来、医師診断のストレス依存癖が強くなりすぎているのではないだろぷか。
原因がよくわからない場合、あるいは、原因追求が難しい場合には、乳幼児の突然死を安易に「乳幼児突然死症候群」と片付けてしまうように、「ストレスでしょう」と簡単に片付けてしまっているように思われてならないのである。だとすれば、これは医師の「逃げ」である。 ー
村上氏の言うとおりだと思う。
そして、医師に限らず、だれもかれもが “ ストレス ” という言葉で片付けようとする。
周知のとおり、ユダヤ系ドイツ人のアンネ・フランクは、ドイツ軍のユダヤ人狩りから逃れるため、アムステルダムの隠れ家で、2年にもおよぶ潜行生活を余儀なくされた。当時、彼女は13歳の少女。その間の生活を記したのが「アンネの日記」だ。
外出もできなければ、衣食住のすべてが不自由な中で、精神の力により、希望を持ち続けて生きていこうとする。
今の日本人はどうだ。
理不尽にキレる高齢者。横暴な中高年。無分別な若いファミリー。
彼らの辞書に、我慢や辛抱、そして、自律の文字はないのか…
いやいや、まさにこれは、第二次大戦後、米国の対日政策「3S(スポーツ、セックス、スクリーン)政策」によって、まんまと、官能的な享楽、低級な社交、卑俗な遊楽をむさぼるばかりの国民へと愚民化された結果に他ならない。
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のりヘイ! (金曜日, 22 5月 2020 20:23)
誠にその通り!
わたしくを始め自分に甘〜い国民性でしょう!
人には、厳しか〜!
不自由を楽しむことを覚えましょう!
それも又、愉しむゆとりがコロナを防ぐ免疫力に成るかも識れません。