国破れて ... 『 お・も・て・な・し 』/ ふと想起される言葉 vol. 35

 

 

かつて、日本にRAAという組織があった。

 

RAAは、「レクリエーション&アミューズメント・アソシエーション」の略で、「特殊慰安施設協会」と訳される。 

 

第二次世界大戦直後、連合国軍兵士による強姦や性暴力を防ぐと言う名目で、占領下の日本政府によって設置された売春施設である。

 

  

1945年8月27日に大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定したのを皮きりに、慰安部、特殊施設部、キャバレー部などが開設されていった。 

 

 

 

8月28日 テンチ米陸軍大佐以下150名が横浜に初上陸し、横浜に連合国軍本部を設置。

 

以後、全国でイギリス軍とアメリカ軍の人員と物資の上陸が相次ぎ、進駐兵力は最大で43万人となる。

 

東京都内では終戦3ヶ月以内に25箇所の慰安所が開設され、この他、横浜をはじめ、江ノ島・熱海・箱根などの保養地、大阪、愛知県、広島県、静岡県、兵庫県、山形県、秋田県、岩手県など日本各地にも設置されていったのである。

 

政府が集めた慰安婦等は、最大で5万5000人にも上る。 

 

 

ー 半藤 一利   著  『 昭和史 戦後篇 』より ー

 

 

内務省が中心となり、連合軍の本土進駐を迎えるにあたって十八日に打ち出した策に出ています。

 

戦時、「敗けたら日本女性はすべてアメリカ人の妾になるんだ。覚悟しておけ」と盛んにいわれた悪宣伝を日本のトップが本気にしていたのか、いわゆる「良家の子女」たちになにごとが起こるかわからないというので、その〝防波堤〟として、迎えた進駐軍にサービスするための「特殊慰安施設」をつくろうということになりました。

 

そして早速、特殊慰安施設協会(RAA)がつくられ、すぐ「慰安婦募集」です。

いいですか、終戦の三日後ですよ。

 

「営業に必要なる婦女子は、芸妓・公私娼妓・女給・酌婦・常習密売淫犯らを優先的に之を充足するものとす」

 

そういうプロの人たちを中心に集めたいということです。

 

内務省の橋本政美 警保局長が十八日、各府県の長官(当時は県知事を長官と言いました)に、占領軍のためのサービスガールを集めたいと指令を与え、その命を受けた警察署長は八方手を尽くして、「国家のために売春を斡旋してくれ」と頼み回ったというんです。

 

およそ売春を取り締まらなきゃいけない立場の警察が「売春をやってくれ」と頼み回ったなど日本ではじめてのケースだと思います。

 

とにかく基本にあるのは、勝利者に対する迎合であり、 まことに卑屈な阿諛、お情け頂戴といいますか、なんとなしに、敗けた人間の情けない姿勢がアッという間に露呈したと言えるんじゃないでしょうか。 

 

(略)

 

こうやって、日本人は早手回しに慰安婦を集め、なんとか連合軍の上陸部隊が余計なことをしないよう動きはじめていたんです。イラクではこういうことはやらなかったでしょうね。

 

結果、慰安施設は二十七日には大森で開業しています。 占領軍の第一陣が本土に上陸してくるのがその日ですから、といっても少人数で、彼らがやって来た時にはちゃんと受け入れ態勢が整って千三百六十人の慰安婦がそろっていたと記録に残っています。  ー

 

 

「日本占領をジェンダー視点で問い直すー日米合作の性政策と女性分断ー」はこちら>

 

 

 

半藤 一利 氏の『 昭和史 戦後篇 』のこの言葉には、事実と異なる点があると思う。

 

 

「GHQ.CLUB」の記述では、

 

ー このひとたちは、みんな素人のひとでした。(後に応援にきたひとは玄人のひともいましたが、はじめ小町園へきたひとは、みんな素人の娘さんでした。)

 

銀座の八丁目の角のところに、新日本の建設に挺身する女事務員募集の大看板を出して集めたひと達ですから、進駐軍のサービスをするという事は分っていても、そのサービスが肉体そのもののサービスだとは思わなかったひと達もいて、なかには、そのときまで、一人も男のひとの肌には触れなかった生娘も何人かまじっていました。

 

前に、ちゃんとした官庁につとめていたタイピスト、軍人のお嬢さん、まだ復員してこない軍人の奥さん、家をやかれた徴用の女学生など、前歴はさまざまで、衣服、食糧、住宅など貸与の好条件にとびついてきた人達でした。

 

その三十人のひとたちは、勿論、ちゃんと着物をあたえられ(まちまちの着物でしたが)食物も与えられ、部屋ももらいました。しかし、おお! その上に、何をもらわなくちゃならなかったか、そのひと達は、翌日から知ったわけでした」 ー

 

 

何とも、酷すぎる話だ。

 

 

昨日まで、「鬼畜米英」を叫び、「一億玉砕」「戦士であるおまえたちがそんなだらしないことでどうする」など言って と鉄拳を振るっていた人間たちが、次の日から「これからはアメリカだ」「民主主義だ」なんて言い出し、その挙げ句のこと。

 

これは、恥知らずなどでは済まされない。

 

阿諛追従(あゆついしょう)のために、護るべき女性たちを騙し、生け贄にした。

彼らこそ、まさに「鬼畜」だ。

 

今日、8月27日は、大森に第1号慰安所が設置された日だ。

 

そうした人間たちと、その言行を見ながら育った団塊世代が作ったのが今の日本という国だ。 

 

 

 

『 お・も・て・な・し 』なんて言葉を聞くと、そんなことが想起され、気持ちが悪くなる。

 

 

「 ー  ふと想起される言葉 ーはこちら>