日本の高級官僚と『 先憂後楽 』 / ふと想起される言葉 vol. 71

< 後楽園 出典:ウィキペディア >   
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ー 先憂後楽 ー

 

中国王朝「宋」の范仲奄( はんちゅうえん  989年~1052年)の言葉だ。

范仲淹は、後世に士大夫の理想像として仰がれた人物。

士大夫(したいふ)とは、北宋以降、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね備えた者である。

 

先天下之憂而憂

 

後天下之楽而楽

 

天下の憂に先んじて憂い、天下の楽に後れて楽しむ。

民衆が心配するより先に心配し、民衆が楽しんだ後に楽しむ ー ということ。

 

東京小石川後楽園、日本三名園の一つ岡山県の後楽園ともに、この范仲奄の言葉に由来する。

 

 

昔、「 通商産業省官僚の心得 」なるものをもらったことがある。

 

内容は、ほとんど覚えていないが、かなり卑俗なことが書いてあった印象が残っている。

 

「10年後20年後の大きな話をしろ。間違っていても、そんな先のことはだれにも分からない。何とでも言い逃れできる。」といった感じ。

 

その中に、「先憂後楽」もあったと思う。

がしかし、そこに書かれていたことは、本来の意味とは全く異なるものだった。

 

当時、高級官僚といえば、そのほとんどは、幼い頃から秀才の誉れ高く、有名進学校から東大へと進み、難関のキャリア試験に合格したエリート達だ。

 

しかし、同じ東大を卒業し、商社やメーカー、損保・生保などの一流企業に就職した同級生たちと比べると、年収ははるかに低い。2分の1、3分の1なんてことが普通だ。

 

愚かな政治家たちを相手に、深夜までの過酷な勤務に耐えながら事務次官を目指す。

同期の誰かが次官になれば、同期の間で上下関係を作らず、外郭団体などの役員に天下りする。

 

そして、その天下り先を退職すると、高額な退職金を手にし、また、別の団体に移る。

そうしたことによって、民間企業に就職した同級生たちの生涯収入にようやく追いつく。

 

若い頃は薄給を憂いながらも、年を取ってからは楽ができる。

日本の高級官僚の「先憂後楽」は、そうした意味だ。

 

 

近頃の接待報道をみる度、先憂後楽を思い出す。

世の中、ち~っとも変わっていない。

 

 

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