福岡タワー前広場には、たくさんの雀がいる。
すぐ側を歩いても逃げない。
と言うか、とても人に慣れていて、まるで鳩のように近づいてくる。
雀は、農山村、都会を問わず、至る処で目にする珍しくはない鳥だが、古来より人里近くで暮らし、愛着をもたれている鳥だ。
ところで、学生の頃、雀やウズラなどを置いている焼鳥屋がそこそこあった。
雀の焼鳥は、とても美味しい。
昔、米が実る頃になると、雀を捕るために田んぼに霞網を仕掛けているのよく見かけたし、子どもの頃は、レンガ4個と短い小枝一本を使ってレンガ罠を作り、雀を捕まえたりした。
今日、スズメを含む鳥獣(ヒナと卵を除く48種)は、「鳥獣保護管理法」により、その狩猟に狩猟免許が必要となっている。
また、霞網は、同法の使用禁止猟具に指定され、鳥獣の捕獲等の目的での所持・販売・頒布は原則として禁じられている。
そんなこんなで、今では、雀を焼いてくれる焼鳥屋は先ずない。
縄文時代から続く日本の伝統的な食文化が姿を消していくのは、寂しい限りだ。
ちなみに、「雀」に関する故事・ことわざの類いは数多くあるが、日本では雀は小さいものや、つまらないものとしてネガティブに用いられるのがほとんどだ。
しかし、海外の雀がつく言葉の中には、そうではないものもある。
その一つが「古雀は籾がらにはだまされない」というロシアの言葉だ。
ー 籾殻が落ちているので米があると思って直ぐに飛んで行く雀は経験の浅い雀で、籾殻だけで判断せず、しっかりと状況を見極めて米の所まで飛んで行くのは古豪の雀である。ー
すなわち、豊富な経験を積み、理性と見識を備えた人間は、軽挙妄動することなく分別して行動するという意味だ。
コロナ緊急事態宣言の解除後、古雀の中には、はなはだ嘆かわしい古雀も少なくない。
何とか、分別ある古雀でありたいものだ。
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