『 博多パラダイス 』… / ふと想起される言葉 vol. 108

 

 

通勤バスの車窓から、「 博多ポートタワー 」が見える。

 

「 博多ポートタワー 」… ね … ピンとこない …

やっぱ『 博多パラダイス 』だよな …

 

『 博多パラダイス 』は、博多埠頭にかつて存在した総合レジャー施設。

オープンは、東京オリンピック会期中の1964(昭和39)年10月。

 

施設は、メインの高さ100mのタワーをはじめ、水中翼船、回転展望グリル、パノラマ展望風呂、ジャングル風呂、トルコ風呂、プール、ジェットコースター、ガンコーナー、サーキット場、スナック・バー、レストラン、大演舞場、サテライトスタジオ等、様々な施設が揃っていたとある。

 

タワーの設計は、東京タワーなどを設計し、「 塔博士 」と呼ばれた内藤多仲博士。

 

内藤博士は、1950年代から1960年代にかけて以下の6つのタワーを設計。

それらは、「 タワー六兄弟 」と呼ばれる。

  

 ・ 名古屋テレビ塔   ・ 通天閣(2代目)  ・ 別府タワー

 ・ さっぽろテレビ塔  ・ 東京タワー      ・ 博多ポートタワー

 

福岡ポートタワーは、6番目の末っ子だ。

 

 

入場料は大人200円、中高生150円、小人120円(タワーに上るには別途大人50円、中高生40円、小人30円)。

 

当時のガイドブックは、

 ” 大温泉に入って、寝転んでショウを観て、一日中楽しめる大娯楽施設 ” と。

 

確かにそうだ。

温泉センターなどなかった時代に、温泉にとどまらず、遊園地に、酒にショー…か。

 

大人も子どもも楽しめる、まさに天国、パラダイス。

それにしても『 博多パラダイス 』、すごいネーミングだ。

 

 

 

私の育った田舎町から博多パラダイスは、ちょっとした旅行。

 

子どもたちの間では、博多パラダイスに行ったというのは自慢だった。

親にせがんだものの、結局、連れて行ってはもらえなかった。

 

オープン時は、当時の人気歌手の生バンドによる歌謡ショーを催すなど華々しく、先駆的な総合娯楽施設として注目をあつめたが、やがて入場者の不振で売却。

 

博多プレイランドに改名されて営業が続けられたが、入場者減少は止まらず1974(昭和49)年に閉園。

 

1975年(昭和50年)に福岡市に移管し、タワーは1976年(昭和51年)に博多港PRセンターとして開館した。

 

その後、1991年(平成3年)に「 ベイサイドプレイス博多 」がオープンし、タワーも含め博多埠頭に再び賑わいが戻った時もあったが、長くは続かなかった。

 

 

     ※    ※    ※    ※

 

 

10分間で一周する回転展望グリルなんていいよね …

 

そう言えば、博多駅筑紫口の「ホテルクリオコート博多」が、かつて「 サンハクトホテル博多 」だった時代、屋上には回転展望レストランがあった。

当時は、超人気のデートスポットだった。

 

 

東京ディズニーランド、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、ハウステンボスでもない。

 

大人の、子どもの天国か …

『 博多パラダイス 』のコンセプトって好きだな。

 

 

 

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