何故、秀吉は『 豊臣 』を選んだのか vol.1 / 西海道古代史の迷路

< 博多区 日吉神社 >   
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今年の初詣は、博多区の日吉神社に参拝した。

 

長年、博多区の住吉神社だったのだが、何しろ人が多い。

 

とりわけ今年は、新型コロナウイルスの5類移行後、初めての正月。

 

きっと、参拝するにはとんでもなく時間がかかるに違いない。

 

そう思ってのこと。

 

 

 

 

日吉神社は、地下鉄東比恵駅から徒歩で10分ほどの山王公園の中にある。

人も多くはなく、落ち着いた佇まい。

 

福岡では、正月に三社参りを行う風習がある。

 

江戸時代、福岡藩主の黒田家が、住吉神社、筥崎宮、日吉神社の三社詣に訪れたという由緒ある神社で、『 比恵山王宮 』とも呼ばれる。  

 

日吉神社は、滋賀県の比叡山にある山王総本宮日吉大社を勧請して建立された神社だ。

 

日吉神社・日枝神社(ひよしじんじゃ、ひえじんじゃ)あるいは山王神社などの社名の神社は、山王信仰に基づいて日吉大社を勧請した神社で、日本全国に約3,800社ある。

 

日吉と書いて「ひよし」あるいは「ひえ」と読む神社と、また、日枝と書く神社があるのは、比叡山がもとは「日枝山(ひえのやま)」で、「枝」の代わりに「吉」の字をあて、一部では、のちに文字どおり「ひよし」と読むようになったからと言われてる。

 

博多区の「比恵」や「山王」の地名も、この比叡山・日吉大社に由来する。

 

ちなみに、尾張で生まれたといわれる豊臣秀吉は、清洲町朝日 (愛知県清須市)の出身である母が清洲の日吉神社に詣でた時、日輪が懐中に入る夢を見て授けられ子であるというエピソードがあり、日吉丸の名の由来もそこにあるというのはよく知られた逸話だ。

 

また、日吉の祭神の使い(神獣・神使)は「神猿(まさる)」と呼ばれるが、元々の祭神は「猿神」で、神様だったものが神使の座に降ろされてしまったという神の交代の歴史を反映しているとも言われる。

 

そして、織田信長が秀吉を「猿」と呼んでいた理由の一つに、秀吉がこの「猿神」を信仰していたという説もある。 

 

 

 

豊臣秀吉か …

 

かつての職場に、Fさんという上司がいた。

 

Fさんは、諸事見識が広く、古代史ついても造詣の深い人だった。

 

ある時、大分県の『 糸ヶ浜海浜公園キャンプ場 』を訪れた時の話をした。

 

糸ヶ浜の公園の中には、住吉神社があり、近くには住吉浜が、ほど近い杵築市には、「 奈多 」の地名もあった。

 

 

「 糸ヶ浜 」の “ いと ”は、「 伊都国 」の ” いと ” を想起させる。

 

「 奴国 」、そして、安曇氏の拠点であった福岡市東区の志賀島。

その近くの和白には奈多海岸が…。

 

渡来人、海人族の足跡を想わざるを得ないことばかり。

いにしえの昔、海を渡り、この浜にも立ったであろう秦氏一族のことが想起された。

 

豊前・豊後、『 豊の国 』はとても興味深い。

そんなことを話した。

 

するとFさんは、唐突に言った。

” 何故、秀吉は豊臣なんだろうか … ”

 

その言葉は、深く心に突き刺さった。

 

          ( 「何故、秀吉は『 豊臣 』を選んだのか  vol.2」につづく)  

 

 

 

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