『 キンキンに冷えたビール 』は、誤用にはじまる … / 引っかかる言葉・腑に落ちない事

 

 

日に日に暖かくなる。

 

博多駅をブラつくと、少し汗ばむ日もある。

 

冷えたビールをグッと一杯 … 

なんて思う。

 

とてもよく冷えたビールのことを、しばしば ” キンキンに冷えたビール ” と表現される。

 

耳にするようになったのは、2000年を過ぎてからだろうか …

 

初めて聞いたとき、すぐさま思った。

これは誤用だ。

 

 

 

 

アイスクリームやかき氷を食べた時、頭が ” キーン(キンキン)” とする症状。

 

これは「 アイスクリーム頭痛 」という医学的な正式名称で、その原因には2つの説がある。

 

 1.  冷たい物が喉を通るとき、喉にある三叉神経が刺激され、その伝達信号を脳が  

    痛みと勘違いして頭痛が起きる。

 

   2.  冷たいものを食べると急に喉や口の中が冷えるため、人間の身体は一時的に血  

    流量を増やして温めようとする。そのときに、脳につながる血管が膨張して頭

        痛が起きる。

 

この2つのメカニズムのどちらか、または両方が原因となって、「 アイスクリーム頭痛 」が起きると考えられている。

 

だれしも経験があると思う。

 

これを表現すると、

 

ー 冷たいアイスクリームを食べて、頭がキーン(キンキン)とした ー となる。

 

そしてこれは、アイスクリームやかき氷に限らず、よく冷えたビールなどの飲み物でも起きる。

 

 

こうしたことを踏まえて、よく冷えたビールに関して言うと、

 

ー [ 頭が ]  キンキン [ するほど ] に冷えたビール ー となる。

 

そして、この中から [  ] の言葉を取ると、

 

” キンキンに冷えたビール ” となる。

 

この場合も、” キンキン " するのはもちろん頭の方。

 

キンキンは「頭」にかかる擬態語( 「擬情語」ともいう。) であって、ビールの状態を表す形容の言葉ではない。

 

その対象が全く異なって、ビールというもの自体が ” キンキン ” とはならないのである。

 

昨今、こうした本来の用法と意味を知ったうえで、” キンキンに冷えたビール ” という言葉を使っている人はほとんどいないと思う。

 

 

 

 

このようなことを背景に、よく冷えたビールにはじまる ” キンキン ” の用法は、さらに広がっていく。

 

ネット上には、

 

 ・ キンキンに冷えた氷 

 ・ キンキンに冷えた朝

 ・ キンキンに冷えた寝室    

 

といった表現も見られる。

 

こうなってくると、何とも言いようがない。

 

 

ちなみに、毎年、文化庁が行う『 国語に関する世論調査 』のオノマトペ(擬態語・擬声語)で、世代間のギャップが顕著に表れたのが「キンキンに冷えたビール」という表現だ。

 

調査では、20~40代までは、半数以上の人が「 使ったことがある 」と回答しているが、それ以上の年齢の人になるとぐっと少なくなり、60代では、わずか1割ほどだ。

 

このように、言葉の使い方は変化するもの。

さらに、昨今のSNSの広がりの中で、言葉は短く、簡単な表現が広まっていく。

 

そして言葉は、その始まりが例え「誤用」であっても、広まれば「正用」となる。

 

反面、その使い方は、その国民の文化の一端を表すものだ。

私には、「変化」ではなく、語力の「低下」、あるいは「劣化」に思える。

 

 

 

(参考) ー「擬音語・擬態語」の種類 ー

 

 

言語学者の金田一春彦氏は、「擬音語・擬態語」を、その意味から細かく5つに分類し、以下のような名前をつけた。

 

まず、音を表すもののうち、人間や動物の声を表す「擬声語」と、自然界の音や物音を表す「擬音語」に分け。

 

次に、音ではなく何かの動きや様子を表すもののうち、無生物の状態を表すものを「擬態語」、生物の状態を表すものを「擬容語」とし、そして最後に人の心理状態や痛みなどの感覚を表すものを「擬情語」とした。以下がそれぞれの語例。

 

 「擬声語」:わんわん,こけこっこー,おぎゃー,げらげら,ぺちゃくちゃ等

 「擬音語」:ざあざあ,がちゃん,ごろごろ,ばたーん,どんどん等

 「擬態語」:きらきら,つるつる,さらっと,ぐちゃぐちゃ,どんより等

 「擬容語」:うろうろ,ふらり,ぐんぐん,ばたばた,のろのろ,ぼうっと等

 「擬情語」:いらいら,うっとり,どきり,ずきずき,しんみり,わくわく等

 

ここで、ある一つの語が、この5つの意味的な分類のうち2つ以上の意味分類にあてはまる場合がある。

 

例えば「どんどん」というオノマトペは、「太鼓をどんどん叩く」というときには、太鼓という物の音を表す「擬音語」であるが、「日本語がどんどん上手になる」という文では、物事の様子を表す「擬態語」になる。

 

また、「ごろごろ」という語は、この5つの意味的分類のすべてにあてはまる意味を持っている。

 

例えば、「猫がごろごろのどをならす」は「擬声語」、「雷がごろごろ鳴る」は「擬音語」である。

 

そして、「丸太がごろごろ転がる」と言えば「擬態語」だが、「日曜日に家でごろごろしている」の場合には「擬容語」になる。

 

さらに「擬情語」としては、「目にゴミが入ってごろごろする」という用法もある。

 

このように、一つの語がたくさんの意味と用法を持つことがあるというのも、日本語の「擬音語・擬態語」の特徴だと言える。 ( 出典 : 国立国語研究所 )